人もすなる象徴詩といふものを

われもしてみむとてするなり

苦悶の象徴


新たなる事象が 旧い記憶を喚び覚まし
記憶は記憶を呼んで千々にみだれ
やがては「苦悶」という字に象られてゆく

いったん文字の形をとったが最後
こころのうちに執拗くはびこり
いかに努力してもかき消せないもの

時だけが 文字を解体してくれる
腐蝕がすすみ 徐々に形が崩れ 断片化し
やがて記憶の底へと沈んでゆく

だがそれもつかの間
新たなる局面にぶつかるたびに
澱のような一群はふたたび上層へと舞い上がる

舞い上がり 渦をまき 寄り集まって 
黒々とした輪郭を次第に鮮明にしつつ
象るところの文字はつねに「苦悶」のみ

商人と悪魔と


賤賈と書いて「あきんど」と訓む
いやはや
何たるざまだ
先祖代々従事しきたったなりわいが
職業カーストの最下位に位置するとはね
その事実をとくと思いみよ

賤賈の代表といえば
ヴェニスの商人ことシャイロックだろう
思えばシェイクスピアも罪なことをしたものだ
おかげで日本人のあいだでも
ユダヤ人のイメージが一気にわるくなったものね

シェイクスピアシャイロックによって
悪魔の典型をひとつ創造した
悪魔というのはつねに
正義によって一杯喰わされる存在なのだ

シャイロックを契機として
賤賈と悪魔とが結びつく

わが社がときとして化物屋敷にみえ
そこに跋扈するともがらが
ときに悪魔じみた様相を呈するのは
故なきことではなかったのだ

そぞろあるき


草ぼうぼうの荒地を横切ってゆく修道女のように
私たちが隊伍を組んで歩いたのはいつのことだったか?
たしかにそんなことがあったのだ。
いま思えば夢のようだが。

夢の中でのように、荒地を歩く私たちを
スナップショットに撮ってくれた写真屋さんは
その後どうなってしまったのか?
できるものなら改めてお礼がしたい。

修道女のように聖らかだった私の少女時代。
いまやそれを知る人はこの世に私しかいない。
私だけの思い出は、しょせん私が見守るほかはないのだ。

あの日隊伍を組んでさざめき合っていた私たちは
自分たちを未来からじっと見つめている親しげなまなざしを
ぼんやりとでも背後に感じていただろうか。

妄誕


男の背中は広いもの、
そう思いこんでいた子供のころの私。
それだから男の背後に回りこんでみたことはなかった。
広いにきまっている男の背中なんかに興味はなかった。

ところで私の愛した男たちは
みんなガリガリに痩せていた。
その痩せ男たちの背中も広いものと
笑止にも思いこんでいたのだ。

そしていま、
私はかつての恋人たちに裏切られたような気持だ。
私はいったい自分の何を彼らに捧げてきたか。
それを思うと腹が立つやら情けないやら。

私は父の広い背中を見て育った。
父は私に背中を見せることで
男の価値をそれとなく教えてくれていたのだろうか。
いまとなってはわからない。

私の愛してきた何人もの痩せ男たちの背中を見なかったことは
私を後悔のどん底に突き落とす。
私の愛してきたのは
男ですらなかったのかもしれないのだから。

エンテレケイア I


泥に生れた草木は
花を咲かせることもなく
生い立ったそのままの姿で
活動を永遠に停止した

それは枯死ではない
生成の極みにおいて
存在を無と化し
形相のみをこの世にとどめたといおうか

泥から生い出た草木は
暗い出自を忘じ果て
とわに円現の相をたたえつつ
結晶のごとく虚空に屹立する