ヴァン・レルベルグの「イヴの歌」を訳出するにあたって
ヴァン・レルベルグの「イヴの歌」を初めから順に、ひとつづつ訳していこう。
この詩集はまず序詩が二篇あって、そのあと第一部「最初の言葉」、第二部「誘惑」、第三部「過ち」、第四部「薄明」と、四部構成になっている。
そのあとに付録としていくつか詩が載っている。
この詩集は十九世紀の象徴主義のひとつの達成として、貴重なものであると思われるが、ざっと読んだだけでは作者の意図がよく見えず、ふわふわしたつまらない詩集だとして、切り捨てる人も少なくないようだ。
私は象徴派にとくべつの関心を抱いているので、この詩集も大切なものになっているが、読んでおもしろいかといわれれば微妙だし、人に読むのを勧めたりもしない。
ただ、私と同じような関心をもっているごく少数の人々の笑覧に供するためだけに、これらの詩篇を訳してみる。
外国の詩を日本語に訳すという作業には、ある種のおもしろみがある。
齋藤磯雄のような人は、そのおもしろみについて、「極めて遠い他人の魂の中に潜入して、これを生きるという快楽」と説明している。
そして、それは「自己放棄」であり「自己脱出」であると書いているが、私の場合、どうもそれとは違うような気がする。
私はたんに、自分に詩才がないものだから、他人の詩を下敷にして、詩を書く真似事をやっているにすぎない。
だから、自分としては出来がよくてもわるくても、とくに気にはならないのだが、人に読んでもらうとなると、また話はべつだ。
そのことを考えると、詩としての出来不出来よりも、誤訳を少なくするという、消極的な方向に向かわざるをえない。
それだけが、最低限必要な良心的な態度であろうと思う。
というわけで、とりあえず冒頭の部分と、二篇の序詩を次に訳してみる。
シャルル・ヴァン・レルベルグ
『イヴの歌』
エミール・ヴェルハーレンに献ず
「世界の美しさは、彼の幼年期の証左であった」(アルフレッド・ド・ヴィニー)
あなたに伝えたい、
私の至福の
清澄な単純さのうちに、
ものの姿もなく、一輪の花もなく、
ただそこに光と、
私の吐呑する空気とだけを交えて。
あなたに伝えたい、
私の初めての歌を、
ほとんど口を閉じたまま、
あたかも私たち二人が
同じ微笑みのうちに、
同じものを夢みているかのように。
蒼天に打ちふるえ、
楽園で初めて語られたかのような、
爽やかな、
乙女さびた言葉で、
清浄無垢の言葉で。
*
私の摩訶不思議な旅から
きみに持ち帰ったのは、たったひとつの姿、
たったひとつの歌、それがこれだ。
薔薇の花は持ち帰らなかった、
なぜなら私は事物には触れなかったから、
生けるものは生けるがままにてあらしめよ。
けれどもきみのために、私は燃えるような目で、
虚空や波間を、
燃えさかる火や風のうちを、
この世にありとあらゆる壮麗なものに目をこらした、
夕暮れの薄暗がりのなかで
きみの姿をよりよく眺められるように。
きみの声をよりよく聞き分けられるように
私はあらゆる音に耳をすました、
歌という歌のすべて、
囁きのすべて、またしじまのなかの
光の舞踏に。
ふるえているきみの胸や口に
触れるすべを知るために、
夢のなかでのように、私は
輝く水の上や、光の上にそっと置いた、
私の軽やかな手を、私の口づけを。
Je voudrais te la dire,...
De mon mystérieux voyage...
Charles Van Lerberghe
LA CHANSON D' ÈVE
ヴァン・レルベルグ「黎明」
ゆうべ、物に怖じた優しい魂が発した声は、
鬱蒼たる葉叢の蔭で歌を歌っていたが、
傷つけられたかよわい優雅さを笑顔に包んで、
消え失せた魂もろとも去って行った。
その不思議な慄きは夜明けを駆け抜けた。
声は「少年時代」や「他所」や「過去」について語った。
それは亡霊の声だった。いまやその声は死に、
親しげな微風がそれをここ、
霧に包まれて荒れ果てたこの苑へともたらした、
遠く、浜辺の砂に絶え入るときの
海の波のやさしいささやきにも似て……
青い黎明になおも伝わりたゆたう
聖なる夜の思い出よ……
より美しい日々とより幸福な時との谺よ……
歌ですらない、言葉なき声、
何も語らず、何も知らないけれども慰安をもたらしてくれる声……
深々とした麦のそよぎや水のたゆたい、
沈黙を乱しもせず、休息を破ることもない、
ありとしもない、かそけき声、
それは薔薇をふるわすこともなく、
鳥を目ざませることもない。けれどもその声のうちには
もはや見るすべのないかつての世界が魔法にかけられたように息づいている。
芳香の入り混じったその軽い息吹のうちには、
とうに死んでしまった心が息を通わせていて、
気高く穏やかな不滅の顔が、
花束や椰子の葉ごしに微笑みかける。
ひとがその声のうちに聞き取るのは、
「欲望」の翼や熱い唇の発するうなりや開花や死滅、
また森の暗がりで愛神がささやく
悦ばしくも浄らかな、あまい言葉。
その黄金の響きはいまなお天空に充ちている。
その玄妙な歌声に耳を傾けよ。
そこに沁み入る夢想は魂に影を残し、
薄暗がりで目をさました至福が、
ためらいつつ蒼ざめる。見たまえ、はやすでに未来だ、
悠久の樹々の梢は青みを帯びてきた、
甘く淡い大気のうちに星くずが溶けてゆく、
新しい一日が世界の壮麗さのうちに立ち昇る。
遠いゆうべのふしぎな谺がまだ揺曳するこの官能的な朝、
少女たちは戸外に出る。
嬉しげに、けれども不安に身をふるわせつつ、
爪先立ってしとやかに、身じろぎもせず指を口にあて、
口づけを抑えるように甘い吐息を抑えつつ、
少女らはみなその声に耳を傾ける、
彼女らは聴く、朝の花々のうちに、
彼女らの娘らしい魂の驚きのうちに、その声が息絶えるのを、
また花々がほころび、ふるえ、目覚めてゆくなか、
気高く威信にみちた声が、これを最後と朝焼けに歌を歌いつつ、
笑みえみと、また萎えなえと、
彼女らの夢のように消え去ってゆくのを。
CRÉPUSCULE DU MATIN
Charles Van Lerberghe
Entrevisions
子守女に贈る歌(ヴァン・レルベルグ)
私がおまえのことで覚えているのはごく簡単な讃美歌だけだ。
よき天使の翼のように、
玩具の思い出とともにある子守女よ、
大切な魂よ、いまここで、
松の木の下の墓の前に
寂しく腰をおろし、
遠く地平線の彼方に美しい秋の夕陽を見、
美しい一日の終りにおまえのことを想うとき、
おまえは天国にあって、慈愛と微笑と
祝祭との歌詞を覚えているだろうか、
おまえが優しい腕で私の頭を抱いて
歌ってくれたあの歌詞を。
大切な魂よ、聴いておくれ、
おまえが私に歌ってくれた歌を聴いておくれ。
私はそれをいまでもぜんぶ覚えている。
それは悦ばしい歌で、いつもうっとりするような魅力がある、
そして、かつて私の揺籃を揺すってくれたように、
今度はこの歌がおまえの永遠の休息をやさしく揺するのだ。
CHANSON FILIALE
Charles Van Lerberghe
Entrevisions
ヴァン・レルベルグ「イン・メモリアム」
エフライム・ミカエルの墓前に
心をひとつにして膝まづき
祈りを捧げる使徒のように、
われらはここに粛然と居並ぶ、
その只中に君は居たもう。
ああ、静けさ……われらの歌の蔭より
ひとつの声が立ち昇り、
われらのうちに夢のように拡がる、
あたかも香の熾火のように。
その声は山々の
白い頂を統べる光のよう、
谷間の薔薇はことごとく
われらの祈りに唱和する。
声はわれらとひとつになり、
その波と響きとは
われらの死すべき声を
黄金の不壊に包みこむ。
IN MEMORIAM
Charles Van Lerberghe
Entrevisions
ヴァン・レルベルグ「墓碑銘」
薔薇や木蔦に交じって
百合が生い出づる大理石の下に、
かつて愛と光そのものだった
ひとりの少女が眠っている。
夜になると、天使がきて
額の上に歓喜の印をおき、
安らかな死が彼女を
永遠の若さのうちに眠らせる。
だから、嘆くことはない、
行きたまえ、旅人よ、人生は短い、
涙は死者を悲しませるのみ、
彼女をして夢みるがまま眠らしめよ。
ÉPITAPHE
Charles Van Lerberghe
Entrevisions