人もすなる象徴詩といふものを

われもしてみむとてするなり

ヴァン・レルベルグ「晴朗の時」

神がわれわれに遣わされたひとときが、
慎ましやかに、いわば翼をたたみ、
ゆったりと慎重な足取りで、また静かで和やかな心もちで、
この変転常なき日々に、われわれの傍らを通り過ぎていった。
それは心貧しき教妹たちであった。彼女らはしずしずと進み、
その歩みがあまりに緩慢なので、もしあらゆるものが彼女らの永遠の出発を繰り返し告げなかったとしたら、
その場で足踏みしているように思われたかもしれない。
物思いに耽るわれわれの上を、
彼女らの優しく澄んだまなざしが静かに、
まるで彼女らがそこからやってきた壮麗な天の雲のように掠めていった。
彼女らの歩みは空気を青く染め、
その繻子の衣は朝の軽やかな息吹のごとく、
花々をたわませずに通り過ぎてゆくのであった。
そこでわれわれは彼女らが天来の存在(もの)であること知ったのである。
こういったところが、長く静かな夏の鬱蒼たる庭園にあって、
われわれの賜った美のひとときであった。
日が暮れるまで、われわれは彼女らを目で追っていた、
この比類なき夢と生命とから遥かに遠く、
彼方、過去や昨日や明日のほう、
樹々の下、道の尽きるあたりまで……