人もすなる象徴詩といふものを

われもしてみむとてするなり

創作詩から翻訳詩へ

これまでは自作の詩をアップしてきたが、このへんで方向性を変えて、しばらく訳詩をアップしていこうと思う。とりあえずは、象徴派の詩人シャルル・ヴァン・レルベルグの『アントルヴィジオン(仄かなる幻)』を冒頭から順に訳していこう。

訳すといっても、詩のかたちに整えてちゃんとした訳詩を作るつもりはない。私には荷が勝ちすぎるし、苦労のわりに報われるところが少ないと考えるからだ。

たいていの人が口をそろえていうように、詩というものは原文でないと味わえない。それなら、詩の訳は無意味かというと、そんなことはない。リズムや韻がどうあれ、とにかく意味をつかまないと話にならないだろう。その意味をつかむという、そこだけを翻訳で捉えよう、というのが私の意図するところなのだ。

つまるところ、行分けしない散文訳ということになる。

この方法は、エドガー・ポーの詩を訳すのにマラルメも使っている。マラルメほどの人でも、外国の詩をフランス語の韻文に移し替えることは無理だった。いわんや小生をや。

翻訳の方法としては、なるべく日本語としてわかりやすいものにすることを心掛け、難解なところは無理に訳し曲げることはせず、原文のまましばらく置いておこうと思う。極端な省略はしないが、意味上あってもなくてもいいような字は飛ばすこともあるだろう。句読点は必ずしも原文のものを尊重せず、日本語として読みやすいように変更することにする。

訳詩のあとに原文を添えておくので、興味のあるかたはごらんください。


(追記、2023年1月31日)
行分けしない散文訳から行分けした散文訳に変えてみた。
そのほうが読みやすいことに気づいたからだ。
また、原文のほうは全部省いてしまった。
煩わしいし、だれも読まないと思うので。